ホーム > 震災とわたしⅡ

震災とわたし Ⅱ

摂津本山駅
タイル書の作品 / "福と笑門来福" 

東日本大震災とわたし

 2011.3.11金曜日、その日は新長田での教室でした。
車でこられた生徒さんがいきなりレッスン中にもかかわらず 「テレビ観て‼」となだれ込んで来られました。
第一報のNHKの映像は一瞬、心が凍り、この世のものとは 思えない映像が次々と放映され、あまりのショックでその方はレッスンされず帰られました。わたしはその後 レッスンを続けましたが体が"ガクガク"と震えていたのを覚えています。東日本大震災の発生でした。
 
その夜、帰宅してから明け方まで同じ映像を繰り返し観てしまいました。
その2.3日後、熱が出て風邪をひいたとおもい病院に行ったら肺炎との診断、そのまま入院、その間病室で テレビは一切観ませんでした。原因が東日本大震災だったとわかっていたからです。
 その後、健康を回復したわたしにやってきたのは"東北の方達に何もしてあげられない"と言う焦燥感でした。
新聞やテレビの報道で多くの方が応援に駆け付けているのを知って…何も出来ない、自分に出来ることは… 焦りの日々が続きました。
そんなとき毎日新聞に『東北の方に年賀状を手渡そう!年賀状の募集』記事が掲載され ていました。
これなら私もできると! 子ども達40枚、わたしは100枚の年賀状を書きNGOを通じて140枚東北に 届けていただきました。
NGOの方からわたし達の年賀状が評判がよく"自分たちも書きたい"とのお声があったみ たいで……"東北に書道教室を開こう"と思い立ちました。

そんな思いが現実となりました。
タイルに書を筆耕し、東北に持っていく書道道具などの資金 をチャリティで集め、皆さんの代表で2012年5月末、書道道具30組、携えて『石巻開成地区』訪問しました。

石巻に入って3日目パフォーマンスの文言をその日の朝考え『石巻しわせの種~開花を信じて』 を披露

自宅前
「しあわせの種 開花を信じて」石巻の皆さんと























色紙揮毫
色紙揮毫

 2012年5月、石巻最後の日
一人ひとりの体験や思い出をお聞きしながら、お好きな言葉やご家族のお名前 などを色紙に筆耕しました。そんな中一人の男性が"海"の文字を書いてほしいと言われ、わたくしはあんな忌まわしい津波をおこした"海"をどうして書いてほしいのですか?とお聞きしたところ、
「僕は波で沖に流され、そして、また波で戻された。だから"海"に助けられて、今生きている」こんな凄い体験を淡々とおしゃった男性を 未だ知りません。
無事生還されましたが、生と死の恐怖心は未だぬぐう事はできないと思います、本当に頭が下がる思いでした。


命の桜展 私と桜の軸
タイル書の作品 / "福と笑門来福" 


またもう一人の女性の方が”桜”を希望されました。
その方は、津波で何も無くなった町に春になって桜が咲いたとき、とても気持ちが癒されたと言われました。わたくしも震災に遇い、その年の桜はがれきの中から現れてなんだか歓迎されない感じでした。
瓦礫と桜は不釣合い、ほんの短い時間のために、一年かけてゆっくりと咲いてくれる、そしてまた引き際も美しい桜を日本人の魂そのものとして共感される、その魂の桜は『命の桜展』 として神戸元町で花開きました。
小さなお茶屋を借りて(一休庵)3月1日から震災当日11日まで11日間、のべ600人余の方が東北を応援(東日本大震災チャリティ2)してくださいました。

全てを失いながらも強く生きておられる皆様、震災で被災された方達に寄り添いながら、
わたくしなりに書を通じて鎮魂の祈りに繋がると信じています。

命の桜展
「命の桜展」 掛け軸『桜』




























                 震災とわたしⅠ     震災とわたしⅡ     震災とわたしⅢ

△ページトップへ